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伊勢湾台風を教訓に

名古屋が未曾有の大災害に見舞われたのは、昭和34年9月26日のことです。

伊勢湾台風(台風15号)が、中部地方を襲い、行方不明者含む犠牲者5,098人を出しました。
(うち、名古屋市民1,909人)

被災者数は愛知県で79万人と、人口の約2割が被災した計算になります。

なぜ、これほどの大災害になったのか、「高潮と重なった」いうことが第一に考えられます。

また、風向きと潮が押し寄せる方角が同じで、陸地に押し寄せる高潮を加速させました。

もう一つの要因が「貯木場から丸太が流出した」ということです。

当時、貯木場は、港の南西部にありました。

この丸太20万tが高潮に乗って、一気に住宅地(とくに南区)を壊滅させたのです。

なんとか家が破壊されずに済んだ住民は、屋根に乗って救助を待ち、九死に一生を得たと聞きます。

この激甚な被害は、防災対策のずさんさにありました。

行政の避難誘導体制の甘さ、停電による情報源の遮断、などが挙げられます。

そのようなわけで、伊勢湾台風を経験した名古屋人は、現在でも、どんなに小さい台風でも接近すると、必ずあらゆる媒体をチェックして備えます。

辛い体験を教訓に、本能的に台風から身を守るという態勢が培われています。